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今を喜んで生きる◆『がんと一緒にゆっくりと』 [2006年06月28日(水)]
がんと一緒にゆっくりと―あらゆる療法をさまよって
絵門 ゆう子(著)
新潮社
¥ 420
[文庫] 15cm x 11cm , 244P
2006-05 / ISBN:4101291519

そんなに前のことではないのだけど、メール交換をしていた方を怒らせてしまったことがある。正確には、突然にメールの返事が来なくなった。たぶん、私の考えのなにかがその方の怒りポイントに触れてしまったのだと思う。今後も仲よくして行きたいと思っていた方だったし、自然消滅ではなく突然の、明かな決別の意思表示だったので非常にショックだった。

意思表示の仕方はいろいろあると思うのだけど、こういうやり方は個人的には好きではなく、こういう意思表示をする人だったんだ、ということで私のほうでもその方に対する好意が薄れてしまった。人間同士だから、意見の違いがあるのは当然で、自分と違う考えを持っているからと言ってその方とのお付き合い全体をやめようとは思わない。性格的に合わないとか、明かに考え方の共通点が見いだせない場合は自然に疎遠になっていくものだ。だから、私は基本的にはそういう流れに身を任せている。

私の考えが気に障ったのなら、どこがどういう風に気に障ったのかを説明して欲しかった。その上で、今後のお付き合いは控えたいという「決別宣言」をしていただければこちらもそれ以上無理にお付き合いを続けようとは思わないし、納得できたと思うのだけど、私からの“釈明”メールに返事は来なかった。だから、長々と書いた“釈明”のどこが気に触ったのか、いまだになぞだ。

その方は身内に重い病気の方がいる。だから、病気に対してや病気に対する世間の目に対して敏感になっているようだった。発端は、私が日記に、「自分よりひどい状況の方と比べて自分はまだ恵まれていると思ってしまう」というような趣旨のことを書いたことだった。今の自分の病気は辛いけれど、もっとひどい病状の方もたくさんいる。その方たちだって一生懸命生きているのだから、自分も落ち込んでないでがんばらなくちゃ、と思う。

それにからんで、病気の程度が重い方よりも健康に近い方の方が“上”というニュアンスのことを書いた。それは、社会的、精神的に上とか下とかいう意味ではなくて、病気の方はその病気を受け入れてがんばっているけれど、常に健康人を目指しているという意味だった。つまり、病気になってから初めて分かることとか、病気になったからこそ体験できたことに感謝している方は多いけれど、それでもその病気がそのままでいいと思っているわけでなく、大多数の方は健康になることを望んでいるのだという、私からしたら当たり前のことを書いたつもりだった。

しかし、私の未熟な文章表現が言葉足らずだったのだろうと思うのだけど、その方にはそのニュアンスがうまく伝わらなかったようだ。その方が特殊だとは思えないので、私の文章を読んで、不快感を抱いた方は他にもたくさんいたと思う。その点は素直に反省し、日記のほうは多少訂正した。それでうまく伝わるかどうかわわからないけれど。

指摘を受けたので、個人的に何通かのメールのやりとりがあり、その方には出来る限り素直な私の気持ちを伝えたつもりだった。しかし、メールは突然途絶えた。最終的には、最初に指摘された部分だけじゃなくて、もっと別のことが気に障ったのかもしれない。しかし、それは今となってはわからない。わからないだけに私のなかでいつまでもわだかまりが残っている。

私の、病気に対するスタンスは間違っていたのだろうか。私のなにがいけなかったのだろうか。

文章のニュアンスが伝わらなかったのではなく、私の考え方の根本的なところが間違っていたのかもしれない。そうも思った。それだったら、いくら説明したところで誤解が解けるわけがない。そもそも、誤解ではないのだから。

「病人は(基本的には)みんな治りたいと思っている」という、ごく単純な私の考えは間違っているのだろうか。

がんを告知され、当初は西洋医学の治療を放棄し、その結果がんが全身転移、その後、信頼できる医師と巡り会い西洋医学の治療を受け入れて闘病し、今年の春に亡くなった絵門ゆう子さん。この本には決定的な答えは書いていない。しかし、病気と向き合うヒントがたくさん隠されている。

彼女は「がんになってよかった」と言っているが、生きることを諦めない。常に治ることを願っていた。その点については、やはり私の考えは間違っていなかったと思う。そして、「がんと一緒にゆっくりゆったり生きる」というそのスタンスは共感できる部分が多い。

西洋医学に不信感を抱き、さまざまな民間療法を試すその心理もよく理解できる。まるでカルト宗教のように、周りの言葉を受け入れず、怪しい療法にのめり込んでしまう。しかしがんは消えず、最終的に民間療法の「先生」たちは彼女を見放してしまった。

民間療法が悪いわけではなく、根拠のない治療法「だけ」にのめり込むことが危険なのだ。民間療法のいいところはたくさんある。西洋医学との併用で治療効果が上がることだって多いと思う。しかし、今の医療現場では両者が対立することが多く、うまく連携できていない。これは非常に残念な状況だと思う。

絵門さんはがん患者を川の中州に取り残された人に例えている。川岸からは家族や友人がいて、励ましたり、助けてくれようとする。すぐ近くにいるのに、両者の間には川があって、確実に隔てられているのだ。中州の人たちは、川を渡りたいけれど、渡れない。上流からは西洋医学とか、民間療法とかいろいろないかだが流れてきて、中州の人たちの中にはそれに飛び乗る人もいる。そして、中には川を渡って向こう岸へ「軌跡の生還」を果たす人もいる。

この例えは、がん患者の孤独感というか社会との隔絶感のようなものをうまく表していると思った。私も病気になってから、健康な人が羨ましくて自分は世間一般の人とは違う世界にいるのではないかという思いを強めたことがある。普通に生活している人を見て「だってあの人は私とは違う」という思いがこみ上げてくるのだ。どうせ私は病気だし…と卑屈な気持ちになったこともある。

でも、そんな風に考える自分が嫌だった。病気の人も健康な人もちょっとだけ病気の人も、みんな同じ世界にいる。だから、自分を卑下することなく一生懸命生きたいと思っている。

絵門さんは書いている。

「中州の人も川岸の人もなく、みんな揃って今を喜んで生きる人になれるのだと思う。」

そうだ。それが理想だ。がん患者とそれ以外の人を隔てる川は、がん患者自身が作っている川だ。自分自身の生き方の問題なのだ。自分がより良く生きていると思えれば、川なんてないし、周りの人と手をつないで一緒に生きていけるはずなのだと思う。

私と、冒頭のメールのやりとりをした方との間には川がある。どちらが作った川かはわからない。いままではその川に気付かずに会話をしていたけれど、ある日その存在に気付いてしまった。渡ろうと思っても渡れない。どちらが正解でもない。ただ、いる場所が違ったのだと思う。こういう川は無理に渡らなくてもいい。渡ろうとするとびしょぬれになり、流され、とんでもないところに辿り着くかもしれない。ゆっくり、ゆったり、いつか川の幅が狭まるのを待てばいい。

絵門さんの本を読んで、なんだかそんな私の考えにお墨付きをもらったような気分になり、ちょっとだけわだかまりが消えたような気がする。

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