女として生まれたからにはやはり子どもを産んで子孫を残すということが生物として正しいのだろうか、と昔からずっと思っていた。人は100%死ぬワケで、死ぬ為に生きている。どんな人でもいつかはこの世からいなくなってしまうのだ。なのにどうして人は生まれて、そして死んでいくのだろう。
そう考えると、やはり子孫を残すために生まれてきたのかな、と思うのだ。で、そうすると、子孫を残さない生き方を選ぶ人の存在意義というのはなんなのだ、と思えてくるわけで、そういう人の存在意義のナゾは解けないでいた。
著者によれば、生物の身体は遺伝子の乗り物で、自身の遺伝子を次世代に受け継いでいくことが遺伝子の目的らしい。で、それは自分の子どもでなくてもよくて、例えば兄弟の子どもとかでもいい。自分の子どもを生まなくても、繁殖に協力することで、遺伝子を次世代に受け継ぐという使命は果たせる。なんかうまく言えないが、ともかく、自分で産む、というだけが繁殖ではないのだ。というようなことが書いてあって、なるほど、と納得したのだった。
と同時に、そうか、産まなくてもいいんだ、と少し安心もした。産まない女にも存在意義はあったのだ。産まない女は産む女に協力したり利益を与えたりすることで間接的に繁殖にかかわっているのだ。きっと。
この本の趣旨が果たしてこのことなのかどうかわからないけど、私はこの本を読んで長年の胸のつかえが取れたような気がした。
賭博が人間の数の能力を向上させ、専制君主制や一夫多妻が国家を安定させ繁栄させる。人によってはこの理論に嫌悪感を抱くのかもしれないが、私には共感できる部分も多かった。しかしね、ほんとにこれを実践したら問題噴出だろうねぇ。
特に、有閑階級の復活というのに賛成。お金と暇をもてあます人たちというのは、貧乏人からしたらとんでもない、と思えるけれど、実はこういう人たちがいることで文化が花開くのだ、きっと。だって、華麗なロココとかって、貴族の文化だもんね。いくら才能があっても、それを認めてくれるパトロンがいないと芸術家は育たない。有能な芸術家に、生活費も材料費も遊興費も全部面倒見るから、作品作りに励みなさい、っていうお金持ちのパトロンがいっぱいいたら、日本のアートシーンは変わるかもしれない。と、本気で思う。
読んだのはハードカバーの単行本(日本経済新聞社刊 ISBN:4532160685)ですが、現在は文庫版が出ています。 |