江國香織の文章は、透明で、硬質で、几帳面だ。読む前は、もっとふわふわしていてきらきらしているのかと思っていた。きらきらはちょっとあるけど、イヤなきらきらじゃない。水面に月の光が反射するような控えめなきらきら。
恋愛小説って、いままで読まなかった。あまりにもたくさんあって、読み出すとキリがないというのと、たぶん、江國香織とかそういう本を読んでいるであろう人たちに対するコンプレックスみたいなのがあって、読まなかった。かわいくておしゃれな子たちが目をきらきらさせて読んでいるのを想像すると、私とは違う世界だわーと思うのだった。生足でミニスカートなんか履けないように、私には江國香織は読めない、と思っていた。
でももうそんなに若くないし、ま、いっかと思えるようになったみたい。若い子がきゃあきゃあ言っているものを、どれどれと興味半分でのぞき見しても恥ずかしくないおばさん根性。あとね、江國香織の童話がちょっと面白かったからっていうのもある。これなら小説も読めるかも、と思って。
読んでみたら、面白かった。でも、きっと今だから。もう何年か前だったら読んでも、やっぱり私の趣味じゃないと思っていたかもしれない。
几帳面な感じが好き。四角い箱にきっちりとスミまで詰まってる感じ。書いてあることが突拍子もないことでも、ああそうかもって納得してしまう。それで説明できてしまう。紅茶が好きな観葉植物も、歌を聴くのが好きなセザンヌの絵画もああそうなんだ、って。普通のことみたいに思える。だから、小説の中にナゾがないの。登場人物たちの行動も、彼らがそう思ったからそうしたんだって思えるし、どうしてそう思ったのかっていうのは、そう思ったからそう思ったんだってそれだけ。それで納得できてしまうのが不思議。
ホモの医者とちょっぴりアル中の妻が結婚しようと思った気持ちもなんとなく分かるし、それでふたりが幸せなのも分かる。なんで分かるのか分かんないけど、なんか分かった気になる。こんな幸せもアリかもしれない、なんて思ってしまう。
一番好きなのは、妻の笑子がセザンヌの“紫色のおじさん”に歌を歌ってあげるところ。何度も出てくるけど、なんか好き。絵画に向かって観るという行為以外の行動を起こすってちょっと異常だけど、笑子にとっては自然なことで、おじさんに歌を歌ってあげるっていう行為がなんだかかわいい。 |