1985年、群馬県御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機。事故に至る経緯とその後の原因究明までを多くの関係者の証言などを元に詳細に記録したノンフィクション。
以前読んだ『墜落遺体』はこの事故での遺体確認作業についてかかれていて、それは壮絶だった。遺体の損傷の激しさを見るだけで、この事故の凄惨さが分かる。
『墜落の夏』では、生存した4名のうちのひとり、落合由美さんの証言が掲載されている。著者が7時間に渡って落合さんにインタビューし、それをさらに落合さんが確認したもので、墜落までの機内の様子がつぶさに分かる。
落合さんは日航のアシスタント・パーサーだが、この日は乗客としてジャンボ機に乗っていた。520名が死亡した事故で奇跡的に生存者がいたことで、墜落までの様子が分かったということもすごいが、彼女がアシスタント・パーサーだったということで、機内のスチュワーデスたちの動きやどこの壁が壊れたかなど、航空業界に居る人ならではの視点での証言が取れたというのがすごいと思う。
座った位置によっては墜落の衝撃で身体がばらばらに吹き飛んでしまった人や墜落後の火災で燃えてしまった遺体も多かったこの事故で生き残ったというのはどういう気持ちだろう。私には計り知れない。乗客の生死を分けたものはなんだったんだろう。落合さんの証言では墜落後も多くの人が生きていたようだ。救助が早ければ生存者はもっといたかもしれない。
墜落までの機内の様子を語る証言はまさに手に汗にぎるような緊迫感と臨場感で迫ってくる。これはフィクションではなくノンフィクションなのだと思うとなおさらだ。もし自分がこの機に乗っていたらと思うと背筋が寒くなった。
夏休み中ということで、ひとりで乗っていた子どもたちも数人いたようだ。迷走し、やがて墜落する運命のジャンボ機の中で彼らはたったひとりでどんな気持ちだったろう。
この事故で家族を失い、生活ががらっと変わってしまった人も多い。それはたぶん、どんな事故でも家族を失うということはとても辛いことだ。しかし、悲惨な航空機事故で、遺体の確認作業も難航したりして、この事故の遺族たちの心労は並大抵ではなかっただろう。
日航側は遺族ごとにひとりずつ社員をつけた。日航側の社員も大変だったようだ。事故の責任のある日航社員にあからさまに嫌がらせをする遺族もいたという。気持ちはわかるが、日航社員側でもかなり大きなストレスを抱えていただろうと想像がつく。
本書では、遺体確認作業や、事故後の補償交渉、航空保険の複雑な仕組み、事故原因究明の流れや事故原因と思われる航空機の構造の解説まで詳細に記されている。事故から1年後に発行されているので、現在とは違っているかもしれないけれど、航空保険の仕組みなどはなるほど、そうだったのかという思いで読んだ。航空機の構造などは文章だけで読んでも何がなにやらよくわからなかったけれど、ともかく、この事故についてはおおよその事故原因は想像されるけれど、肝心の機体が完全に復元できずに事故原因を特定することは不可能らしいということはわかった。事故の衝撃で、事故原因と思われる尾翼部分などが散らばって全部回収できなかったからだ。
このジャンボ機は事故の7年前にしりもち事故を起こして修理されている。その時に修理を担当したボーイング社が、墜落事故後に修理時のミスを認めている。そのミスが、直接か間接かわからないけれど、事故の原因になっている可能性が極めて高いらしい。
ジャンボ機に異常が起きたあと、ほとんど操縦が不可能になった。本来なら、完全に操縦が不可能になることはないように設計されているジャンボ機だが、墜落した日航機は操縦不能に陥ってしまった。本書を読む限り、読者の私としては、これはもう操縦席に居たパイロットたちにはどうしようもなかっただろうな、と思える。墜落を回避する策はなかっただろう。それだけに、コクピット内の会話を記録したボイスレコーダーのやりとりを読むと必死に操縦を試みる操縦士たちの会話が空しく切ない。
いったい、事故の責任はどこにあるのか。ジャンボ機を作ったボーイング社、日航、操縦士たち、それとももっと違う何か。本書では、事故原因も事故の責任の所在もなんとなくよくわからない。でもそれはいくら追求してもわからないままのような気がする。なんとなく釈然としないけれど(これは遺族の方々にとっては非常に苦々しいと思う)、今後こんな悲惨な事故が起こらないように航空会社などに日々努力してもらうしかないだろう。
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