昨年の本のランキングなどで上位になっていて、「今年の最高傑作」などというコピーがついていたりして、気になっていた一冊。よく、ミステリーやSFのランキングなどのランキングはあるけれど、これは純文学。なんだか『白い犬とワルツを』とか『マディソン郡の橋』とか『朗読者』みたいな感じの売れ方だけど、これらの本と違うのは著者が日本人だということ。上記三つは実は私はちゃんと読んだことがない。だけど、この本はなんだかちょっと読んでみたくなったのだった。理由はよくわからないけど、著者が日本人だからそんな気になったのかなぁ。
記憶が80分しかもたない障害を持つ博士。その博士のもとに派遣された30ちょっと前の「私」。そしてその息子ルート、10歳。ルートというのは頭が平らでルート記号のようだからという理由で博士がつけたあだ名。作中に登場人物の本名は出てこない。
博士は大学で数学を教えていたのだけど、17年前の事故で頭を打って障害を負ってしまった。17年前までの記憶は消えないけれど、現在の記憶はきっかり80 分しか覚えていられない。だから、毎日やってくる家政婦の顔も覚えられず、玄関では毎日初対面の儀式が行われるのだった。そんな博士の障害を受け入れつつ家政婦の仕事をこなす私。ある時、博士は彼女に息子がおり、毎日留守番していることを知って、子供もここへ連れてきなさいと言う。博士はなぜだか子供のことになると異常な心配性で、子供をとても愛すのだった。その理由は作中では明かされない。だけど、その子供への愛情の注ぎ方がとてもかわいらしくてあたたかいのだ。
ルートと「私」は、博士とつきあう上でのルールを決める。博士が何度同じことを言っても毎回初めてのように聞くとか、阪神の江夏が今も阪神にいるという嘘をつくとか。ルートが阪神ファンだと知った博士は自分も阪神のファンで、江夏の大ファンだと言うのだけど、江夏が阪神のエースだったのは17年前の話。江夏が阪神を去ってしまったことを知った博士はいつになく落ち込んでしまう。でも次の日にはそれを忘れてしまっている。そこで、「私」とルートは博士を悲しませないために、江夏はいまでも阪神にいるということにして、いつも博士をごまかすのだった。嘘をつくのは心苦しいけれど、博士の気持ちを傷つけないための二人の思いやりなのだった。
博士は会話に困るといつも数字を持ち出す。数学が苦手なので、読みながらかなりこんがらがってしまったけれど、なんだか、数字を説明する博士の口調とか、その数字を通じて博士とこころを通わせる「私」とルートの様子が伝わってきて、数学の難しさよりも、おもしろさ、不思議さを感じる。博士が書く数式はレース編みの模様のようだという表現があって、数式の意味はわからないけれど、とても美しいのだというのが分かる。
博士とルートと「私」の間に流れるゆったりとした時間。最後には無機質にしか見えないはずの数式の間から、ほんわかとした暖かい気持ちが感じられるから不思議だ。 |