著者が取材した当時、日本には57人の死刑囚が居た。そのすべての死刑囚についてのレポート。
著者は死刑反対の立場をとっているが、内容は淡々としていてできるだけ、事実を伝えようとしているような気がする。それだけに、興味深くはあるものの、面白いという本ではない。
死刑囚の一人一人について調べるのは容易ではないだろうし、並々ならぬ熱意が必要だ。獄中で生きていることは分かっているものの、外部との連絡をまったくとっていない死刑囚もいる。そういう人の記述は数行で終わっているものもある。
また、本人からの書簡や、関係者の話で割と詳しい様子が分かる人もいる。ひとくちに死刑囚といっても、その待遇も心境も様々であることが分かる。心境はともかく、刑務所によってその待遇がまちまちで、ひどい扱いを受けている人もいるようだ。
日本は人権後進国なのだそうだ。これは大学のときに法学の授業で聞いたのだと思う。美大の法学の授業なのだけど、授業が面白くて人気があった。先生は代用監獄(いわゆる留置場)問題やえん罪事件などに取り組んでいる人だった。えん罪事件については、一つの事件に一時限をついやして、詳しく説明してくれ、どう考えても無罪の人間が死刑判決を受けて、執行を待っているという理不尽な状況がよく分かった授業だった。こう言うと、「そんな全く無罪な人間が有罪になるなんて」と思うかもしれないが(私もずっとそう思っていた)、しかし証拠とか犯行の再現とかで、普通に考えても絶対にこの人の犯行ではないだろう、と思われるのに、裁判ではそれが無視されてしまう。なぜなのか理解に苦しむのだけど、実際そうなのだ。
私が、死刑を廃止したほうがいいと思う第一の理由は、えん罪の可能性。死刑にしてしまったら、永遠にえん罪は晴れない。取り返しがつかないのだ。国家によって無実の人を死に追いやるなんて、その国の国民として恥ずかしい限りだ。
また、この本の解説で、中山千夏さんは死刑反対の理由として以下のようなものをあげている。
死刑は、人権を根本から破壊する残酷な刑であること。
死刑が犯罪を抑止するという科学的な根拠は、ぜんぜん無いこと。
死刑は、人の更正の機会を完全に奪ってしまうこと。
死刑は、冤(えん)罪をはらす機会を永久に奪ってしまうこと。
また、中山さんはその他にも遺族がみんな死刑を望んでいるかというとそんなことはないし、また、死刑を執行を執行する刑務官の苦悩についても触れている。
この本を読むと、死刑囚にもいろいろいて、その事件の凄惨さや殺した人数の多さから死刑になって当然、と思える人もいる。反省の色が全く見えない人もいる。その一方で、自らの罪を認め、悔い、遺族に謝罪する人もいる。また、えん罪の可能性があり、獄中から無実を訴えている人もいる。
それにしても、人権という面から言うと、どの死刑囚も人間らしい権利が守られているとは到底言えない。外部との連絡は自由にできず、行動も限られ、抑圧された生活を何十年と続けている。死刑囚は出所することはないから毎日、執行される日を待つ日々。刑務所内での作業で賃金がでるらしいのだけど、一日に数百円という信じられない報酬。体調不良を訴えてもまともに聞いて貰えない。
死刑囚なんだから犯罪者なんだから当然、と思ってしまいがちだけれど、しかし、生きている限り人間らしい生活をする権利を奪う権利が私たちにあるだろうか。この人たちの人権を奪うことでこの人たちを罰したことになるのだろうか。もっと他の方法で罪を償うことはできないのだろうか。これではただの報復、いじめだ。死刑囚をこのような状況に置いている私たちは犯罪者となんら変わらない。
日本の警察には留置場があるけれど、これも国際的には非難されているらしい。実際、国連などで再三廃止を求められているらしいのだけど、日本国内ではほとんど報道もされていない(と、大学の法学の先生は言っていた)。
詳しいことは忘れてしまったけれど、留置場は正式には代用監獄と言って、実際の監獄の代用として生まれたらしい。本来なら、警察に捕まったら弁護士を立て、弁護士同伴で取り調べを受けることが理想なのだけど、代用監獄ではそれが許されない。他にもいろいろあるらしいけれど、とにかく、人権を侵害しているということらしい。確かに、ちょっとしたことで留置場に入れられ、たとえそれが誤解だったとしても入れられている間は犯罪者扱いだ。やったかどうか分からないのに捕まった時点で犯罪者扱いされるというのは日本社会の悪癖だと思う。捕まった時点ではまだ無罪で、裁判で判決が言い渡されるまでは有罪ではない。
犯罪者だから殺してもいいという理論にはイマイチ同調できない。それでは自分を犯罪者と同等に落とす行為だ。では身内が殺されたらどう思うか、それは犯人を殺してやりたいと思うだろう。だけど、実際に殺すかどうかは別の問題だと思う。殺すよりも事件の真相を知りたいと思うかもしれないし、それならば死刑にしてしまっては永遠に分からなくなってしまう真実もあるかもしれない。また、犯人が死刑になったとしてもそれで殺された人が戻ってくるかというとそんなことはないし、それよりも犯人が心から悔いて更正してくれることを望むかもしれない。
よく思うのだけど、犯罪を犯す人というのにもいろいろいるとは思うけれど、周りに、これをやってはいけないよ、と教えてくれる人がいなかったんじゃないかと思える人もいる。一般社会の常識を知らずに育ってしまった人。そういう人はそれはそれで不幸だ。私たちはついつい自分に引き寄せて考えてしまうけれど、そういうことをすると人に迷惑になるとか、人を傷つけるとかそれを教えて貰えてない人っていうは居て、結果的に犯罪者になってしまう。その責任っていうのは社会にあるんじゃないかなぁ。
だから、社会が責任を持って更正させてあげなければいけない。そういう風に考えると、犯罪者と言えども人権はあって、その人権を守りつつ社会のルールを教え、人との関わりを教え育んで、立派に社会で生きて行けるようにするのが刑務所の役割なんじゃないかと思う。
この本で、無期懲役で長年刑務所に入っていて、出所したもののまた同じ犯罪を犯して死刑になっている人が多いと書いてあった。この犯人がきちんとした社会生活を送れるようになっていたら、または出所させなければ、犯罪被害者も、死刑囚も減ったはずなのだ。いったい日本の刑務所というのは何をやっているのだろう。 |