「インターネット」と「インターネット的」は違うのだそうだ。インターネットを全く使わなくても、インターネット的なことはできるらしい。
「インターネット的」というのを説明するのに、糸井さんは「リンク」、「フラット」、「シェア」という三つのキーワードを挙げている。リンクは繋がり。フラットは面倒な上下関係とか年令とかそういうものをとっぱらった世界。シェアは分け合うという発想。そういうものがインタネット的なのだそうだ。
確かに、インターネットというものが登場して、世の中のいろんな価値観がちょっとずつ変わったような気がする。わたしもインターネットそのものよりも、インターネット的なものに惹かれてネットの世界に入り込んだような気がする。
つまり、インターネットという手段を使って、新しい「なにか」を得られるんじゃないかという期待を持ってネットに接続したのだった。ネットのつなぎ方とか、パソコンの使い方とかそういうものは手段でしかなくて、本当の目的ってのは、糸井さんが言う「リンク・フラット・シェア」の世界を体験したいということだったと思う。わたしには「インターネット的」なんて言葉をそんなに明確に説明できないけど。
糸井さんはコピーライターなので、なんだかややこしいことを簡潔にわかりやすく説明するのが上手い。読んでいると、なんとなく分かっていたんだけどちゃんと説明できなかったことが、とっても分かりやすく書いてあったりする。そうそう、とうなずくことしきり。
「インターネット」ってそんなに大層なものだとは思わないんだけど(っていうのは、インターネットに繋がってるからって何がエライってわけじゃないっていうこと)、「インターネット的」な発想や「インターネット的」な生活っていうのはとても魅力的だと思う。つまり、ネットと関係ないところでも「インターネット的」な考え方を持っていると生活が素敵になるかもしれないということ。どんどん複雑になっていく機械や技術に惑わされないで、「インターネット的」にいい感じの社会になってゆくとよいなぁ。 |